悩める宿屋のブログ

宿屋の3代目です。40代前半2児の父。家族経営の宿で世代交代を視野に入れて奮闘中。

宿屋の3代目だが、果たしてどうなるか

47年前に祖父が創業した宿を継ごうとしている。7年前に帰郷し、両親と一緒に宿を運営している。それまでは東京でホテルマンとして働いていた。9年近くホテル内のレストランでウエイターをやっていた。

 

今考えると、そのキャリアを投げ打ってまで田舎に帰ってきて宿屋をやろうなんて正気の沙汰とは思えない。でも当時は何かに取り憑かれたようにやる気に燃えていた。ただ自分の力を試したかったのかもしれないし、都会から早く離れたかっただけかもしれない。とにかく田舎に帰りさえすれば、何とかなると思っていた。だが、その考えは甘かった。

 

家族と一緒に働く、ということがいかに難しいか、良く分かった。是非、一度家族と働いてみてほしい。普通に生活するのと、一緒に働くのとでは勝手が違うのだ。ファミリービジネスは、この部分さえクリアできれば、8割方上手くいくと考えてほぼ間違いない。これが会社員なら「仕方ないか」で許せることが、いちいち頭に来てしまうのだ。一度スイッチが入ると、やることなすこと目に付いて気に食わない。お互いそうなる。特に私の場合は母親との折り合いが悪い。まず、何も言い争うことなく一日の仕事を終えることができる日がほぼ無い。

 

家族と一緒に働く難しさに打ちひしがれていたのと同じ時期に、当時付き合っていた彼女にも振られ、ダブルパンチで凹んだ。凹むというか、回収前のアルミ缶みたいにペチャンコだった。それまでこの上なく鮮やかだった、実家から見える山々の風景がモノトーンに見えたくらいだった。景色は絶対的なものではなく、その時の感情に左右される相対的なものだとその時気付いた。立ち直るのにしばらくかかった。

 

それから2年後に今の妻と出会い、結婚できたのだから人生何があるか分からない。

 

とにかく、会社を辞めて帰ってきてしまったものは仕方ない。田舎で生き残っていくしか道はない。外から見ている分には田舎生活も悪くないように見えるが、実際に生活してみると、しがらみや地域の集まりなど煩わしいものも少なくない。

 

宿はスキー場にあるため、繁忙期は12月から3月の4ヵ月間だ。残る8ヵ月間は割と暇になる。トレッキングや登山目的のお客さんはそれほど多くない。

 

となると、その8ヵ月は必然的に私の給料は出ない。自営業者の宿命だ。仕事が無ければ給料は出ない。冬の間に稼いだお金があるからといっても、生活費はかかる。税金や車の維持費、食費。

 

オフシーズン働かなければ食べていけない。隣村のリゾートホテルで臨時で働いた。二足のわらじ生活。季節労働者だ。それなりに給料はもらえたが、拘束時間が長く、家には寝に帰るだけ。夜の11時頃帰宅して、ゆっくり起きて、昼頃から仕事に行く。それほど悪くない環境だった。オフシーズンは家族との関係も良好だ。当時は独身だったし、気楽なものだった。そんな生活が6年ほど続いた。

 

今は結婚し、幼い子供もいる。そのような生活を送ることが困難になってきた。日中全く家に居ないし、夜帰って来れば子供は寝ている。サラリーマンならそれでも仕方ないか、という感じだが自営業者でまだ親が健在だとなると立場が微妙だ。家業もそれなりにやらなくてはいけないし、妻のサポートも必要だ。

 

ということで今年から、勝手に働き方改革を起こし、仕事量を減らしてみた。

オフシーズンの仕事場を変え、日中は割と家に居られるように画策した。

まだ始まったばかりでどうなるかは不明だが、今のところ大丈夫。

ただでさえ、東京から帰ってきて年収が大幅ダウンしたというのに、ここに来てさらに年収を下げる方向に動くのは正気の沙汰とは思えない。それでも不思議と何とかなるものなのだ。贅沢をしなければ、生きていける。米も野菜も作っているし、食べるものはある。税金がまた安くなる。

 

東京から帰ってきた次の年は、目玉が飛び出るほど税金の請求が来た。前年の年収で計算されるから。やけくそで払った。社会保険から国民健康保険に切り替える場合だ。珍しいケースであまりないだろうが、今の仕事を辞めて田舎に帰って、自営業者になろうと思っている方は本当に気を付けて欲しい。給料のほとんどが持っていかれる。

 

宿屋の3代目だが、まだ正式に継いではいない。それこそ私が50歳くらいになるまでこの調子かも知れない。それまでに実力を蓄えておくしかない。

逆に今の立場を利用して、やれることはやっておこうとも思っている。水面下で色々画策するのもそれはそれで面白い。両親が健在なうちにお客さんを泊められるだけ泊めて、蓄えを作っておく。そして設備投資に回す。

もし、妻と2人で切り盛りするようになれば、大人数は捌けなくなる。規模を縮小するしかなくなってくる。あと何年、このまま行けるか。そう考えると、両親と上手くやらなければ、とひしひしと感じる。今の事業規模が保てるのは、両親がいるからこその事だからだ。いなくなれば、人を雇うか、規模を縮小するしかない。

 

自営業者という道を選んだからには、これで行くしかない。今更もう引き返せない。

サラリーマンには戻れない。今は両親と上手くやりつつ、料理の腕を上げたりといった実力を蓄える時期なのかもしれない。果たしてどうなるか。不安も大きいが、楽しみでもある。

 

人生はトランプゲームに似ている。配られた手は、決定論を意味し、どう切るかはあなたの自由意志である【ジャワハルラール・ネルー】 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憂うべき読書量

最近、社会人の読書量が少なすぎる、

それどころか、

大学生の読書量が圧倒的に少ないのだそうだと、

ネットで囁かれているので気になって調べてみた。


ある資料によると、社会人の1ヶ月の読書量が

平均で2.58冊という結果。


その中でも、0冊が36.1%!

実に3分の1以上が全く読まないというのである。


年間で調べると、平均12~13冊。


大学生に至っては、年間の読書量が平均で2.5冊。

0冊は31.2%!やはり約3分の1が全く読まないのだ。


出版業界が危ういのもうなずける結果である。


「若者の活字離れ」と騒がれてはいるが、

まさかここまでとは。


暇さえあれば地元の図書館に頻繁に出入りし、

「うーん、これは読んだんだよな〜なんか気の利いた本無いのかな〜」

などとブツブツ言いながら30分ほどウロウロして毎回3~4冊小説を

借りていく私に友人が少ないのも全く不思議ではない。


以前飲み会で好きな女子のタイプを聞かれ、

「電車の片隅で、バッグからそっと文庫本を取り出して読みそうな人」

と臆面もなく答えてドン引きされたのも、

今となっては全く不思議ではない。



中毒とは言っても、

カフェイン中毒、ネット中毒、ゲーム中毒など

様々だが、私は活字中毒だと自負している。

活字を目で追っていないとそわそわしてくるのだ。


少なく見積もっても週に1冊として、

年間52冊は読んでいることなる。


今でこそ、こうして宿屋を切り盛りしているが、

何を隠そう大学生の頃は文学部に在籍し、

英文学を専攻していた。

進路を選択するにあたって、文学に触れること、

少なくとも当時から活字に対してアレルギーはなかった

と言えるかもしれない。だが、胸を張ってこれを読み込んだ

と言えるものもないのは確かだ。


統計も示す通り、大学生の読書量が少ないのは

よく分かる。やることが多いのだ。仲間と騒いだり、

デートしたり、サークル活動やバイトに明け暮れたり。

ただその中でも、本の貸し借りをする友人はいた。

酒を飲み、物語について語る。かけがえのない時間だった。


卒業して10数年経つが、今でも驚くべきことに

本の貸し借りがあり、この本面白いよ、といった

情報交換がある。

その情報は読書量の蓄積がある分、

計り知れない価値がある。

そうした友人を得ることができただけでも、

大学へ進学した価値があると思っている。


学生時代より現在の方が読書量は多いかもしれない。


ただ、今になって当時文学部で良かったと思えるのは、

「読書をする」という習慣を身に付けることができたことだ。

その習慣は間違いなく私の人生を豊かにしてくれた。

現在の判断基準が、いつか読んだ本に基づいて

出来上がっていると感じることはよくある。


「宝島の海賊たちが盗んだ財宝よりも、

本には多くの宝が眠っている。

そして、何よりも、宝を毎日味わうことができるのだ」

ウォルト・ディズニーは言う。


読書の習慣は、

他人の気持ちを推し量る手助けにもなっているし、

ある情報に接した時に、断面積が多くもなる。


宿屋といったある意味文学とは全くかけ離れた

ように見える職業だが、実は「人の心を扱う」という

点において、共通する部分がある。

文学は行間を読むことによって理解を深めるが、

宿屋というサービス業でもお客さんの

隠れたニーズを発見することが重要なのだ。


そうした点で、文学を勉強していたことは、

何となく現在につながっていたのかもしれない。


点と点はつながる。ただ、あらかじめつなげることは

できない。後になって振り返って初めて、つながっていた

ことに気付くのだ。

反面教師という偉大な教師

「尊敬できる人は素直に見習えばいいし、

尊敬できない人はなぜ尊敬できないか考え、

自分が同じ過ちを犯さぬよう反面教師に

すればいい。

大事なのは、他人は皆教師だと考え

学ぶ姿勢だ。

尊敬できる人は、

そこらじゅうにいるわけじゃない。

尊敬できない人からこそ学べ」



何かの折にこの言葉に出会ったとき、

妙に納得してしまった。

ちょっとした衝撃を食らったと言ってもいい。


尊敬できない人というのは確かに存在する。

ただ、「教師として」認識はしていなかった。

つまり、その価値に気づいていなかった。


私に足りなかったのは「学び」の姿勢だった。

さらに言うと、私に足りなかったのは

「他者への関心」かもしれない。

いや、既に思考停止に陥っていたのかもしれない。


迂闊にも全く気付かずに過ごしていた。

教師を探すより、反面教師を探すほうが、

遥かにたやすいということを。


反面教師は探さなくても突如として

出現する。場合によっては目の前に立ちはだかる

こともあるだろう。そんな時いつもだったら

苦々しい気持ちになっていた。

これからは、学びの姿勢で相対することにしよう。

そこから何か学ぶことができ、自分の血となり

肉となるのであれば、何だかワクワクしてくるではないか。


たとえ反面教師によって理不尽な状況に

追い込まれようとも、その状況に対しもっと関心を持って

観察することが重要になってくる。

今までだったら怒り狂うか、落ち込むか、

今のは無かったことにしようと目をつむっていた所だが。


書きながら思い返しているが、

そこから何が学べるかを考えるだけで、

偉大な教師現る。ありがとうございます。

という気持ちに変化しつつある。



新しい視点に気付いた瞬間だった。

これで人間関係が多少なりとも楽になるかも

しれない。いや、そうなって欲しいものである。





冒頭の文はこう続く。

「そうすれば、君は超スピードで成長していける」